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二つの道のりの終焉

著者:匿名寄稿  訳者:林 建郎 [Schizophrenia Bulletin Vol.12,No.2,1986]
どのように自分の病気が始まったかを私は覚えている。私は宗教的な人間で、規則正しく熱心に祈りを捧げる習慣にあった。ある晩自宅で寛いでいた時、急に気分が落ち着かなくなり、針が心臓に突き刺さるのを感じた。私はこの呪いがはやく去ってくれることを祈った。邪悪な人間達が私の体に悪戯をしているのだ。祈りの中で私は、ぴかぴか光った鎧を着た騎士になり、呪術師の儀式を攻撃した。そいつらをやっつけ、そして家にいる自分の体に戻ってきた。それは私にとって本当に起こった出来事だった。

やがてこのような祈りを習慣的に行うようになった。その都度登場人物は激しさを増し、その声はより明瞭に、会話はさらに複雑になっていった。そしてある晩、神の声が聞こえた。それは私に向ってあれをしろ、これをしろと命令した挙句、まるで悪魔のように私を天国から放り出した。私が入院したのはその時だった。私は25歳になっていた。

30歳の時、私は家族から隠れてホームレスの収容所で暮らしていた。やがてそこで暮らす意欲も失せ、ひとりで行き方を知っているある親族の家へ行くことにした。この頃にはそれまで頭の中にあった声が、口の中へと移っていた。私は自分の口を使って話すことができ、神もそうすることができた。彼は神であり、私は彼の預言者の一人だった。私は他の州まで行き、そこからバスに乗った。さらに接続するバスを乗り継いでその街へと私は向った。独り言を言うことが注意を惹く事とは思えなかった。会話の最中、私は唇を閉じるようにしていた。それはちょうどガムを噛みながら話をするのに似ていた。私の乗ったそのローカルバスは、見なれた名前の道を走っていた。私が探している通りはその先を右に行ったところだ。私が自分と交わしていた会話の内容は、主にこのどうしようもない世界の中に居る自分自身の安心感についてだった。しかし、私がブツブツ言っている間に、バスはスピードを上げて自分が降りる停留所を走り過ぎてしまった。どうしようもないのは私の方だった。すぐにバスを止め歩いて戻ればよいのに、私はそのままにして運転手が町へ戻ってから降りることに決めた。終点へ着くとそのバスの運転手は、次の発車まで少なくとも30分は待つだろうと言った。

私は今来た道のりを、記憶に頼って歩くことに決めた。それは清々しい日だった。私は一般的な話題や、このうっかりした状況の中での本当の自分に関する話題に会話の的を絞って、自分を慰め落ち着かせた。道路工事を監視している警官の前を通る時、既に私よりも先にシークレット・サービスが到着しているので大丈夫だと自分を安心させた。その1年ほど前、私の傍の食卓に座った人の「シークレット・サービス」という言葉を会話の端に聞いてから、彼らは私をずっと守ってくれているのだ。そしてまた私は神の預言者のひとりだから、通りの左手にあるカソリック教会にさえ愛されているのだ。この偉大さが衰え、流れ去ってしまって行く間も、世界は私の傲慢にただの一度も抗議することなく、ぜんまい仕掛けのように刻々と動いていた。

バスが大きな音を轟かせて走り過ぎて行った。しかし私はすぐに角を曲がり玄関の扉をノックした。叔父は私を迎え入れ、私は二、三日そこに泊まることにした。それは私にとって、生涯のやすらぎの場であった。ソビエトの特殊部隊の攻撃に備えおもちゃの銃をいくつか買った。それが本物であると私は信じた。シークレットサービスは毎回巧みに彼等を撃ち払っていた。これは私が一人でいる時以外には起こらなかったが、叔父はそれが子供のような振る舞いだと感じていた。彼は私の面倒をよくみてくれ、私は彼の庇護の下で幸せだった。けれどもある晩、彼は私に腹を立て父の前で喧嘩になった。警官がやって来る寸前に我々は何とか落ち着いた。そして私は入院させられた。

これらのすべては、投薬や治療を受けていない分裂情動精神病患者としての私の経験である。それは決して表面に表れることはなかった。最初は病気に打ちのめされ、後には身を削るような副作用と薬物療法や治療にとても我慢できなかったからだ。現在私は精神病患者のためのグループ・ホームで加療中で、これらの経験を振り返ることは、とても私を癒してくれる。もう二度と繰り返したくはない。もしそうなったらすべての夢を私は失ってしまうだろう。それは私が目覚めている世界に入り込み、滅茶苦茶にしてしまうからだ。

この体験談の中で私が幻覚や妄想を明瞭に表現することで、治療者が患者を治療する際に何を知るべきかについて役立てばと願っている。気分が良いか悪いかは、精神障害を治療する上での問題ではない。重い精神病であるが故に気分が悪いとか、精神が安定しているので気分が良いとかは私の経験ではあり得ない。この二つは互いに無関係だ。例えば在る時、私は幻聴に襲われて、裸のままアパートの外をほんの1分も歩いていたら警官がやってきた。その時の私は完全に精神病に陥っていたが、気分は良かった。警官や訴追から逃れるために、私の声は自分が癲癇患者だと言うように命令した。そして警官が薬を探している間には、癲癇を証明するためにその発作を起こすよう命令した。警官は救急車を呼び、私を入院させた。

精神病の人にとっては、その幻聴を保護したいという気持ちをもつ場合も在り得ることを言っておく必要がある。どんな落ち着かない毎日を送っていても、幻聴は患者の世界の一部になり得るのだ。それは治療者にとっては、突飛で厄介に思えるであろうが、神の声は平均的な患者とっては突飛でも厄介なことでもない。同様に悪魔の声も簡単に無視されたり、軽視されることはない。

私のグループホームのスタッフが、私の精神病にとてもよい治療法を持っていることが分かった。それは対決的にならないということである。彼らは私の幻覚と妄想について尋ねはするが、それらを疑りはせず、ただ単に頷いてその話題はそれで終わりにする。長い年月、妄想を拭い去るために趣味に熱中し、幻覚を追い払う為に本をむさぼるように読んだ。私の記憶では、私の妄想や幻覚に挑みかかる治療者は、皆敵意と怒りに満ち溢れていた。そんなことの後は、私は彼らが聞きたがるような事柄しか答えないようになった。

色々な経験を経て、専門的精神治療が絶望から私の人生を救ってくれたと認めることは、私にとって喜ばしいことである。厳しい道のりだったが、私の精神病は回復に向っている。将来的なキャリアを視野に入れ、近いうちには大学院での勉強も再開したい。この体験談が分裂病に関わる治療者にとって役立つことを願っている。それが私と同様に苦しんでいる人達の助けにもなるだろう。

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