双極性と境界性をめぐって―翻訳作業を支えた異国滞在
阿部 又一郎
筆者の研修医時代、フランスの人気女優オドレィ・トトゥ(Audrey Tautou)が主演した映画『アメリ』が日本でも大ヒットとなった。好みはあるだろうが、パリのノスタルジックな光景が、可愛らしい映像と音楽で仕上がった秀作である。作品のなかで、悪戯好きの主人公アメリによって、父親の庭先に置いてあった小人の人形がこっそり持ち出されて、世界中の旅先に連れていかれるシーンがあった。今回、星和書店での監訳書『双極性障害の対人関係社会リズム療法』(通称IPSRT)は、下訳の段階から発刊に至るまで、監訳者の手提げ鞄やパソコンの記憶媒体に入れられて様々な土地に移動して、さながら映画のなかの人形と同じような遍歴をたどってきた。
手のあいたときに進めようと日本で着手したはずの翻訳作業は、当時勤めていた職場や研究所の通勤範囲を越えて、海外研修先として滞在したウィスコンシンやパリ、帰国後は鹿児島そして再び東京へと戻っていった。その間、編集部から初校受理の返信をメールで受け取ったのは、確かルクセンブルクの投宿先であったと記憶している。英語に取り組む作業が、なかなか困難な環境に身を置いていたのもあるが、私の気質(言葉の本来の意味で)も影響して進捗はしばしば滞ってきた。環境を変えれば少しは作業がすすむかと思ったが、その逆で、日本語を見返すのさえ面倒になり、しばらく放ったらかしていた時期も何度か訪れた。IPSRTの原著者エレン・フランク(Ellen Frank)さんは、IPSRTをわずか一日の洞察の閃きで考案した、と序章で書かれていたが、筆者たちは紹介に果たして何年費やしたことだろう。時間を要したところでチーズやワインのように熟成されるわけでもなく、計画は何度も豆電球のように点滅していた。
星和書店編集部には、昨年秋に出版された『フランス精神分析における境界性の問題』の共訳本の出版に続いてお世話になった(ただ、こちらは逆に監訳者たちにまかせっきりで、筆者はほとんど何もしなかったのだが)。どちらも筆者の社会人大学院生時代、フランス給費留学に出発する前に立ち上がった企画であった。どれくらい前からというと、出発したのがリーマンショックの起きる前の2008年であるから、時代はひと回りである。紆余曲折はあったものの、どちらも無事に出版まで至って本当によかったと思う。フランス滞在中に、星和書店のなかで、さらにもうひとつ翻訳計画が持ち上がって監訳予定者からも連絡を受けていたのであるが、どうやらそちらは諸事情によりまだ途上のようである。
留学前の筆者(つまり精神科医になって10年目くらいまで)にとって、境界性と双極性の問題は、臨床において中心的位置を占めていた。要は、感情の病理をめぐって、さんざん患者にてこずらされていた。言い換えると、患者さんにてこずらされている自らの姿しか見えていなかったのだ(今でもまだ多少その名残があるが)。境界例とされる臨床事例が、軽微な気分変動を内包して双極スペクトラムの視点から治療に結びつけられる意義は、しばしば指摘されてきた。しかし、そのように指摘する本邦の先達たちの貴重な臨床的視座——例えば、佐藤裕史先生、内海健先生、神田橋條治先生ら——の助言の通り(筆者が専門医を取得するまでに発表されていた双極性障害と境界例に関する著名な臨床的考察である)真似てみたところで、ちっともうまくいかなかったのが邦訳作業に関わったきっかけであった。
実際のところ、どちらの翻訳作業も難渋して、途中でお蔵入りになりかけた。翻訳作業が完遂されたのは、間接的ながらも筆者のフランス滞在3年目に起こった2011年3月11日の東日本大震災のインパクトとその残渣によるだろう。というのも、震災後から、これらの計画が、文字通り再稼働し始めたからだ。他でも書いたが、あの日、出勤すると周りから、みな「おくやみ」の言葉を投げかけられ、はじめ何を言われているのかわからずに怪訝に思ったものである。直接的にカタストロフを経験していないと、かつて自分がそこにいた場所の記憶が失われていくような不思議な喪失感覚に襲われた。最近もまた、2015年11月13日に同時多発テロが生じたパリの映像をみるうちに、かつてそこにいた場所が失われたような、似た感覚を再び抱くことになった。従って、こうした翻訳作業には、訳者たちの喪失とノスタルジーがいくらか反映している、といえば言い過ぎだろうか。喪失を鍵概念とするIPSRTの邦訳サブタイトルに、臨床家と「クライアントのための」実践ガイドと付け加えたのは、いささかそんな思いもあった。
双極スペクトラム障害の提唱で知られる米国の精神科医ナシル・ガミー(Nasir Ghaemi)は、双極性(障害)が包含するポジティブな側面として、リアリズム、創造性、共感性、レジリエンスという4つの因子を掲げている。一連の訳出作業は、筆者にとって主体のそうした側面に目を向けようとする試みでもあった。IPSRTは、確かに完成度の高い心理社会的介入法であるが、原著の発刊から改訂もなくすでに10年以上が過ぎている。その間に発展してきた軽躁の評価をめぐる知見の蓄積と、社会の変容に伴う(対人関係の)欠如という問題の複雑さを前にすると、物足りなさを感じる向きもある。IPSRTと一緒に本邦に紹介しようと企図したのがAngstの軽躁チェックリスト(Hypomania Checklist)であった。今後、これらのツールや概念をどのように組み合わせて展開してゆけるのか、まだ議論と工夫の余地がある。
さて筆者は帰国後より、都内の大学病院精神科にて主に臨床と教育に従事している。行ってからよりも戻ってきてからの方が大変だな、と改めて痛感する日々である。臨床現場では、本邦でも治療経過の急進化・断片化をより一層、感じるようになった。入院日数の短縮に伴い、新たな残遺・慢性化兆候が硬直化したり、DSM-5の公刊に伴い、診断基準の変化と新たな治療要請に適応せざるをえなくなっている。そうしたなかで、異国の様々な場所を訪れた記憶とともに、翻訳作業を通じて得られたつながりもまた貴重である。これからも、借りものにもノスタルジーにもとどまらない固有の経験となるように、研鑽と出会いを重ねていきたい。
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